HISTORY 01
宿場町「内藤新宿」と、
関所「大木戸門」。
新宿内藤町。四谷を含むこの辺り一帯は、
高遠藩主であった内藤家が、徳川家康から授かった地。
やがて内藤家がその一部を返上したことで宿場町「内藤新宿」が
造られ、甲州街道から江戸に出入りする通行人や
荷物を取り締まる関所「大木戸門」もここに設けられた。
HISTORY 02
広重が浮世絵に描いた、
江戸時代の桜の名所。
歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれた玉川上水は
内藤町あたりに流れ、春になれば満開の桜に包まれ、
多くの花見客で賑わった。現在ではかつての流れに沿って、
新宿御苑北縁に「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」が
造られており、当時に思いを馳せることができる。
名所江戸百景
玉川堤の花/国立国会図書館デジタルコレクション提供
HISTORY 03
安住の地への願いが
込められた町。
「クラッシィタワー新宿御苑」が生まれる四谷四丁目はもともと、
「四谷永住町」と呼ばれていた。
当時、隣町であった「愛住町」とともに
“末永く安住の町になるように”との願いが
町名に込めたと伝えられている。
昭和16年頃「大東京区分図三十五区之内 四谷区詳細図」